壱岐ツアーを一緒にツクル平山さんからメッセージ☆

ども☆

よしみです。

いま、平山さちこさんから
メッセージきまして。

そのまま ブログに転載しますね☆

そうそう。
さちこさんからのメッセージに書かれている通り、
壱岐ツアー2日目は 聖母宮からスタートです☆
正式参拝をなおみさんがご依頼しておいてくれてますが、
なにやら 特別なサプライズも用意していてくれる模様☆

そして 2日目の昼食は 平山旅館にて
「島茶漬け」なのですが。

それを開発したのが、平山さちこさんでもあるので。

そこのトコロもさちこさん、下記の内容にしたためてくれてるので、
実際に食する際には、イロイロとオハナシ聞けるかと。
楽しみも倍増です。

さちこさんが実際に壱岐に移住して、
志半ばで 壱岐から関東へ戻ってきた。

今回の壱岐ツアーは、その志に再チャレンジするカタチとなっていることは、
以前のブログにもしたためたけど。

生のさちこさんの 声をどうぞ 受け取ってみてください☆

 

☆☆☆☆

こんにちは。

平山佐知子です。

今回神功皇后繋がりで、短い時間ですが、
島の自然と人と交わりながら、
悠久の歴史を感じる3日にして頂きたいなと思ってます。

私は、平山旅館の平山宏美女将の長男と
1995年1月に起こった阪神淡路大震災の震災ボランティアで知り合いました。

24年前です。

2000年に結婚しましたが、子供を産んですぐに私は、
壱岐島に移住を決意しました。

都会で育児は不安、当時働いていた映像制作会社の復帰も不可能でした。

主人も小さなHP会社を立ち上げましたが、まだまだ不安でした。

当時出来たばかりの楽天市場の通販サイト出店で、
私は、壱岐の島を日本で最高に美味いものを出荷する、
店を作る為に乳飲み子と二人で移住したのです。

今から考えると、移住までしなくてよかったのでしょうが、
何かに呼ばれてしまったのか?
とにかく、移住前から年商1億と豪語し、
移住してからは、農業を中心とした島の暮らし、
生き方を残していかねばならないと、
壱岐島の生き方を変えないで!と訴えながら、
高い金額で商品を仕入れて、
都会に美味しい産物を送り届けました。

一方、都会から、早口で、愛想もない私が勝手なことばかりやると、
家族からは、いつも心配されてました。

今のように地方が良いね!って、時代も到来してかなったので、
その間も家族には毎日説教をされ、
資金繰りも難しく、毎晩毎晩遅くまで働きました。
移住して、二年、双子が産まれ、
その四年後、四人目が産まれ、
都内で主人が衆議院議員になり、
流石に、ここで帰らねばと、
東京に戻る決意をし、
2010年にスタッフに食品工場を任せ、
東京に子供四人と帰りました。
当時のスタッフは、20人近くいましたが、
毎年度規模を縮小し、今は5人程度。

小さな島から産まれた、奇跡の産物、
【島茶漬け】は、当時売れに売れ、
今だネットで売れ続けています。

とにかく、私の課題は、
島人の作る美しい農作物、
加工品を受け入れて欲しい!
との気持ちでした。
できれば、高い金額で買って頂ければ、
この島は未来永劫繁栄し、
日本全体が繁栄しますから!と
メルマガに書き連ねました。

ただ、私に足りなかったのは、
人の話に耳を傾けなかったこと、
自分を過信し過ぎたこと、
反省が足りなかった。

家族が私を追い詰めると思い込んだが、
結局、似た者同士だったとは理解できませんでした。

0だった売り上げは、6年で、7千万近くになり、
運営は、私の身勝手な手腕でしたので、
私が島を、離れると、アンコントローラブルな状況になりました。

一時期、大変な時期もありましたが、
結局、スタッフがなんとか維持し、
今も経営しています。

ドタバタ経営してる間にも様々な出会いにより、
私を神社や大自然の中に運んでくれました。

喜多さんも、蓑田さんも、有馬さんも、
神社とお寺の差も分からないような私を導いてくれました。

特に双子を授かり、毎晩、平山旅館の温泉に浸かり、
疲労回復、美肌定着、健康維持が出来、
島の為に生きると決意し、毎日毎日の出会いと、
不思議な出来事に囲まれた日々でした。

深夜の温泉で、酩酊していると、
湧き出る湯の中から、男女の会話を聞いたり。

普段でも、自信マンマン運転していても、
道に迷い、ずっとたどり着けない神社があったりしました。

ある時期は必ず、毎晩3時40分に目覚めました。

何故か分からないけど。

月読神社を尋ね不思議な投資家が来たり、
熱心にお参りする参拝者にも出会いました。

壱岐での私は家族とソリが合わない中、
月読様にいつもお参りしてました。

お参りする度に、仕事がうまくいくミラクルにも遭遇しました。

月読様の他に、譲れなかったのは、神功皇后です。

神功皇后は、実在するが、
月読様は、実在しないのかもなと感じたのが、
よくお参りするようになった理由です。

2日目に行く、聖母宮、しょもぐうは、
神功皇后が母として、お祭りされてます。

一人の母として、息子、応神天皇をお祭りしてます。

神功皇后は、出産を遅らせる為に、
月延石を腹におさめて、
三韓征伐に行かれたとされています。

どうして、ここまでして、三韓征伐に行ったのか。

疑問なんです。

夫の仲哀天皇のお供でもない。

様々な思惑ありながら、
母として、一人の女性として、
国家の未来を思い描いたのか?

壮大なロマンを感じ、私は、いつも、
聖母宮に未来を感じていましたので、
勝本に行けば、聖母宮という、気持ちで、集ってました。

神功皇后に思いを馳せながら、
皆様にお会いできるの楽しみにしておりますね!

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