どうも。ま◯子です。
父の話が続いてましたが、ここで締めたいと思います。
先日13日、母の誕生日前日に息を引き取りました。
たまたま息子が泊まりでいなく、私も病院に泊まり、息を引き取る瞬間まで見られたのは、宇宙からのギフトだと思った。
最期、母の「もう頑張らなくていいよ」という声に反応して、パクパクっと口を動かしそのまま動きが止まる。
生ききった という言葉がピッタリだ。
私はいつでも爪を切る。
よく、夜爪を切ると親の死に目に会えないというジンクスを聞くが、やっぱり嘘だなと思った。
父が、昔は夜に爪を切るとそれが飛んで踏むと、そこが傷になり化膿して自分が死ぬからだと教えてくれた。
子どもの時はホントかよ!?って聞いてたが、そーゆーことなんだろな。
変わった人だと思ってたが、今自分の思想がソックリなことに気づく。
こうやって受け継がれていくのだな、と。
「死」は「生」でもあるのかもしれない。
告別式の話
故人のエピソードが、幼少からの怪我病気からの復活劇。
参列者の笑ってる顔が見える。
というか、私たちもおかしくて笑ってしまった。
大親友の弔辞も、これまたおかしなエピソードオンパレード。
しまいには、うちの息子の名前を二回間違える。
もう、ここらへんで笑いが止まらない。
兄の謝辞も素晴らしく、親族でおぉー!っと感心。
火葬した後のお骨がしっかりしすぎて、骨壷に入りきらない。
担当の人が、ちょっと失礼します!といって、すりこぎ棒でゴリゴリ骨を潰して詰め込む。
もう、えーーー!!!ですよ。
こんなんあり?
もう、ホント最後まで笑わせるのやめて。
生きてる時に、墓石なんかいらない。
戒名なんて自分でつければいいんだ!と豪語してたらしいんだけど。
残念ながら、付けられちゃったよお父さん。
いい名前だったのになぁ…。
いつ死ぬか分からないから、遺言って大事なのかもと思った。
私は入る墓もないし、自然に還りたいので。
死んだら山のてっぺんに連れてって鳥に食べさせる、いわゆる鳥葬にしてくれって話したら、みんなに激しくお断りされた。
なんでよ。
サバンナでライオンに、姥捨山で熊に、でもいいのに。
海は寒そうだからやめて。
あ、木の根元に肥料として撒いてもらおうかな。樹木葬。
なんて、人の死は多くのことを考えさせられる。
で、周りの人たちの深い部分をあぶり出し、揉め事がおきる。
葬式あるあるらしい。
うちの家族が1番揉めたのは、葬式の内容でも遺産のことでもなく。
「庭の柿の木どうする?」
父のお気に入りの樹齢200年ほどの柿の木があるのだが、手入れが面倒と言う理由で母が切り倒してしまうのだ。
兄と私は切らずに残して欲しいのだが、父が亡くなった今、切っちまえ!という母。
って、揉めるのそこかぃ!と思うが、大切なこだわりポイントは人それぞれなんだなーって痛感したわけです。
もうここには書ききれないネタたっぷりの父の人生。
愛する父は死をもってたくさんの奇跡を見せつけてくれ、私にとって最高のギフトを与えていってくれました。
49日に何が起きるのか…楽しみです!
長々とお付き合いありがとうございましたー
笑いのあるお葬式、私好きです。ご本人の人となりや周りのご家族やお友達や取り巻く人達の人柄だと思うから。
見届けるのも家族の役目ですね。
セレブま◯ちゃん
ありがとー!
うん、本人知らなくても、お葬式で知れるよね。
いい式になったと思う。
しかし、身近な死はホント変化が大きいね!
体感したよー。