ども。
よしみです。
「出版までの道のり vol.4」
神楽坂編3☆
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共著者の女性とは前回のブログでも書いたとおり、神楽坂で何度も打ち合わせを重ねる。
※そこらへんも本の中に描かれてます。
互いにアイデアを出し合い、読み物として面白く分かりやすくなるために、原稿を書き進めてはお互いで推敲し合った。
文章を足し算して引き算して掛け算して割り算するような、原稿とにらめっこする日々。
数カ月ほどそんな日々を過ごして、原稿も本の土台固めが出来始めた頃。
2016年8月頃には、いよいよ「どこの出版社にアプローチしようか?」
そんなコトをフタリで話すようになってきた。
よしみの思いは
「沢山の人に読んでほしい!!」
ということがメインだったので、書店で平積みされてたり、しっかりとその出版社のコーナーが設けられている出版社がいい!と思っていた。
内容はきっとスピリチュアルや精神世界、心理学、そういったジャンルになるだろうから、その内容に特化した出版社をフタリで考えた。
その頃、よしみの頭の中には「やっぱりあの出版社さんがいい!」という思いが湧く。
スピリチュアルや宇宙、引き寄せや魂についての本をたーくさん出している出版社さん。
「あの出版社さんどうだろう!!」
共著者の方にも伝える。
そんな中、神楽坂で仕事をしていた共著者の方から写メが届く。
「いま、ヒカルランド号が目の前を走っています!!やっぱり、そうゆうコトですかねー。」
それからの私たちに、さまざまなサインが送られてきた。
11月の新月に私たちは「ヒカルランド」に企画書と原稿の一部を送ることになる。
・・でも、それについては、またあとで詳しく☆
この後の「出版までの道のり vol.☆」に改めて書くつもり。
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何が言いたいかって、このヒカルランドさんがあるのが、神楽坂。
そして企画書を送る時点で、会社が神楽坂にアルのは知らなかったのだ。私。
2017年1月、出版社の社長さんと編集長さんと待ち合わせたのも、打ち合わせたのも、神楽坂だった。
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そして、2017年、2月だっけかな?
早稲田出張のタイミングで、夜にポツリと時間が空いたので、
久しぶりに神楽坂在住のHさんと連絡を取り合い、Hさんオススメのお店を予約しておいてください!とお願いしていたところ、Hさんが行ってみたかった!というお店が神楽坂にアル☆というので、お任せした。
待ち合わせのお店に向かって気づいた。
そのお店は数週間前に社長さんと編集長さんと待ち合わせた、その出版社の隣のビルにあった。
名前は「みらくる」
ネギ料理と日本酒が美味しいお店だった。
もう、ミラクル続きの神楽坂だっただけに、笑った。
Hさんも、みらくる、というネーミングも気になっていたから、とのことだった。
後日談だけど、編集長に、その話をしたら、打ち合わせでその「みらくる」は良く使用するとのコト。だよね。隣のビルだもんね。
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2017年3月。
その頃には、わたし自身、原稿はすべて書きあがっていたので、のんびりとしていたのだけど、まだ残っているコトがあった。
執筆の中に、イラストや漫画を挿入したい、と思っていたのだ。
数人のイラストを依頼したい人の顔が浮かんだ。
何人かには尋ねてみたが、みな「荷が重い」「時間がない」などのことで、引き受けてくれる人はいなかった。
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そんな中、またまた3月の早稲田出張の時。
3月14日に、神楽坂在住のHさんともう一人のお友達と、ご飯を食べる約束をした。
お店はどうしようか?と思ったけど、お酒も食事もおいしい、
<神楽坂 2☆>にも書いた、よしみの大好きな神楽坂のイタリアワインバーで待ち合わせをした。
ちなみに、そのよしみが指定したワインバーはHさんの家から徒歩2分くらいの場所だった。これまたミラクル。
Hさん、仕事を終えて、遅れての集合だったが、Hさんが席について間もないうちに、私は尋ねてみた。
「今度の執筆の中にイラストや漫画を挿入したいのだけど、書いてくれるかな・・?」
Hさん、すぐさま「いいっすよ。」・・って言った。
「いいっすよ」・・・・。
「ほんとに??嬉しい!!!」・・と私。
遡ること、5年ほど前・・だと思う。
初めて会った頃に、1度だけ、セッションなどの流れで、Hさんの状況をイラストで表現してくれたのを見たことがあったのだ。
そのイラストの表現力がとても素敵で、覚えていたのだ。
その日のワインバーでの会食は、イラストを依頼したくて約束したわけではなかった。
Hさんが、しっかりした会社でメディア制作の仕事をしていること、プロの現場で、とても多忙な日々を送っていることは聞いていたから。
そして私が知っている情報は数年前に見せてくれたイラスト1枚の記憶だけであって、宇宙や心理について書かれた原稿をイラストにする事は実際難しいとは想定していたから。
だけど、結果的にその為に会えたんだな、と今は思える。
2つ返事で快諾してくれるHさんは、なんだか
「そんなの当たり前ですよ、できますよ」といわんばかりの、頼りがいある表情だった。
翌日20ページほどの原稿をHさんに送った。
そして原稿を送った翌日から、次回編集長との打ち合わせがある3月29日までの、たった15日間の間に、
続々と、お願いしたイラストやコマ割り漫画約30点が送られてきた。
どれもこれも、深夜から朝の時間帯に。
・・Hさんは深夜、仕事が終わってから書きあげてくれたのだ。
あたしからすると、それは もう、超ミラクルだった。
スムーズに理解してくれ、そして、イラストを仕上げてくれる。
そして出来上がったイラストは想像超える仕上がりだった。
本を手にとってもらえたら分かると思うが、内容とイラストのバランスが絶妙なのだ。
ハードとソフトのバランスというかな。
熱量高い文章に、やわらかさを与えてくれるイラストになっている。
※これまた、皆様どうぞお楽しみに。
良く聞けば、Hさんは仕事で絵コンテなども書いているとのこと。
そして、何度も私のセッションを受けてくれていたので、私の伝えたいことが何よりもスムーズに伝わったのだ。
それから、普段は制作サイドとして、顧客や企業さんに制作プレゼンをする側だ。
だから、文章から、何を切り取ってビジュアルで訴えればより伝わるか?がプロの目線で理解できるのだ。
編集長との打ち合わせだった3月29日には、Hさんのイラストを見てもらうことができた。
「いいですね!!」
めでたく採用となった。
編集長も、私の書いた文章を理解してイメージを共有してイラスト化することは、プロのイラストレーターさんにも色々いるし、相性もあるから、難しいな・・と思っていたそうだ。
そして、その2日後、Hさんは自宅から徒歩数10分の出版社へ、直接原画を持ち込んでくれたのだ。
おいおい。ほんとに。しつこいけど・・ミラクルだ。
すべてが神楽坂の数キロ圏内で、この本が仕上がっていくのだ・・。
来週末には1回目のゲラが刷り上っている予定。
そのときはまた、神楽坂のみらくるでHさんとご飯を食べようと思う。
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でさ。
つくづく、神楽坂ってなんなんだろー?
って、こないだ、wikiってみた。
そっかー。
昔は花街だったんだー。
最近、チャネリングのような感じで、
「天女みたいに羽衣まとってるよしみさんが見える」ってフタリに言われてたし、
かつての前世で花魁やってる、とも言われてたし。
いたのかもね。神楽坂に。
それから、
「神楽坂」の名称の由来について、「江戸名所図会 巻之四」(天保7年)によれば、この坂の右側に高田穴八幡の旅所があり、祭礼で神輿が通るときに神楽を奏したからとも、「若宮八幡の社」の神楽の音がこの坂まで聞こえたからともいわれる。 また、「改撰江戸志」 (原本は残っておらず成立年代は不明だが文政以前にすでに存在が確認されている) には、津久戸明神が元和の頃に牛込の地に移転した時、神輿が重くてこの坂を上ることができなかったが、神楽を奏すると、容易に上ることが出来たため、この時より「神楽坂」の名が付いたと記されている。
なんてことが書かれているけど。
若宮八幡さまは、Hさんの氏神さま。
津久戸明神さまは、筑土八幡さまになっていたが、共著者とヒカルランドに向かう際に、ヒカルランドの真ん前にあった神社だったので、思わず
「お詣りしてから行こうか?」
と、ご挨拶に行った神社だ。
ご挨拶した旨をヒカルランドの社長さんに云うと、やはり、ヒカルランドの氏神さまで、事務所開きの際は、そこの宮司さんにご祈祷してもらったそうだ。
そして、日本でも珍しく、アメノウズメさんが祀られてるとのこと。
そう、芸事の神様☆
それから、高田穴八幡‼
早稲田サロンにお世話になってから、ずっとご挨拶させて頂いてる神社だ!
そう。早稲田サロンの氏神さまだ。
その三つ巴の神社さま達を繋ぐお神輿とお神楽の歴史。
そしてあたしはみこしやの娘であり、
赤城神社の御祭神である赤城山に育ててもらった。
(赤城山にも捨てられてる)
あ!そいえばさ、松本家の家紋は三つ巴☆
ミラクル続きで、もう、脱帽。
花魁、神輿・・いづれそのキーワードは私の人生に不可欠だ。
そんなコトもいつか整合性がつくのであろう。
神様のご縁。
前世と今世のご縁。
すべては繋がっている。
頭でわからないことでこの世は出来てるんだよな・・。
ということで。
ますますよしみは神楽坂を好きになりそうです。
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こんな感じで、「出版までの道のり」<神楽坂編>
おわり。
次回は何を書こうかなー。